大正11年。
東京駒込に小松鶴一が小さな店を開きます。翌年には、関東大震災に見舞われました。その時、鶴一と妻のさくは、共に逃げるのも忘れ、どんぶりが壊れぬよう棚にしがみついていたそうです。鶴一は新潟の出、酒飲みで頑固者でしたが、また大変な努力家だったと聞いています。もっともその当時は昼夜をとわず働き、財を築くことは時代の空気でした。その鶴一の東京での成功を知り、親族がつぎつぎに頼って上京します。そして、それぞれ独立を果たしました。のれん分け制度のはじまりです。そんなよくある町のそば屋に生まれたのが私の父、茂です。
小松茂はどこかアンバランスの凝り性で、東京で一番になる、が口ぐせ。もちろん材料を吟味すれば、お代もあげさせてもらわなければつぶれてしまいます。昨日まで350 円のそばを今日から600 円で売れ。これですから店の者はたいへんです。お客様に叱られながら、その味の良さを懸命に伝えました。「小松庵さんは強気だねえ」周りのそば屋さんからはよくひやかされました。そして、駅ビル時代に入ってゆくのですが、駒込という土地には、こんなわがままな私たちを見守り、育てる気風がありました。駒込。これが私たちの原点です。
代表取締役社長 小松孝至
小松庵について
はじまりは池袋から
たくさんの想いが繋がるきっかけ
1992 年、駅ビルにはじめて出店したのが、メトロポリタンプラザ池袋店です。ここで、たくさんの合理的運営を学び、同時に私たちの存在そのものを深く考えるきっかけになりました。「少しでも名店に近づきたい」そんな気持ちで、この地に開店、最初は、うどん・蕎麦店としてのスタートでした。
ここでも背中を押してくださったのは、お客様です。「この味ならこの値段で、必ず売れるようになる」こんな予言をしてくれた方がいました。周りの店は満員なのに、うちには客が一人もいない。当時は駅ビルに高品質の蕎麦はあまりありませんでした。そうこうしているうち、勝手に小松庵ファンクラブを立ち上げる方、ご自分の店のように小松庵のことを心配してくださる方などがあらわれ、お店が賑うように。
そして、たくさんの出店要請が頂けるようになったのも、この頃です。池袋店は、たくさんの人たちの想いの結晶です。
[沿革]
- 1922年(大正11年)初代・小松鶴一、駒込で小松庵創業
- 1945年(昭和20年)終戦後、駒込に木造で開店
- 1951年(昭和26年)有限会社 小松庵設立
- 1971年(昭和46年)駒込に小松ビル竣工
- 1992年(平成 4年)池袋店オープン(2012年閉店)
- 1994年(平成 6年)恵比寿店オープン(2004年閉店)
- 1995年(平成 7年)自家製粉、手打ち蕎麦開始
- 1996年(平成 8年)新宿高島屋店オープン
- 2000年(平成12年)渋谷店オープン(2020年4月閉店)
- 2004年(平成16年)丸の内オアゾ店オープン
- 2010年(平成22年)駒込に「蕎学舎」設立
- 2011年(平成23年)二子玉川店オープン(2018年閉店)
- 2012年(平成24年)ソラマチ店オープン(2024年1月閉店)
- 2014年(平成26年)駒込六義園前に新本店オープン
- 2019年(令和元年)銀座店オープン
- 2022年(令和 4年)創業100周年
[会社概要]
- 創 業
- 大正11年(1922年)5月
- 資本金
- 3000万円
- 代表者
- 代表取締役社長 小松孝至
- 事業内容
- 日本蕎麦専門店の経営(都内4店舗)
- 従業員数
- 54名